夢の壁  加藤幸子

 終戦後の中国からの引き上げを描きながら、この表現と結構の規矩正しさはどうだろう。基本的に両国の善人しか出てこない小説で、このような現実も間違いなくあったということを疑うわけではないが、文学としては一つも二つも足りない。こと中国に関して、現在日本人に必要なものはこのような文学的観照ではなく、政治的リアリズムであろう。時折、前者は、後者の目を塞ぎ盲目にしてしまうのである。

第88回
1982年後期
個人的評価★

カイ  もう三十年近く前の北京の自然と人間とが、みずみずしくよみがえるのである(大江健三郎)
ヤリ  口あたりのいい美談であって、温良な美談佳話を一篇の作品に仕立てるだけの力量はこの人にない(丸谷才一)

 大江の評には、親中国から来るバイアスが明らかにかかっている。80年代に至っても左翼系の人は中国と聞くだけで心が安らいだのかも知れない。1976年にはすでに中国の「大躍進」の厄災が日本に伝わっていたにもかかわらず。開高健の評―珍しく中国人らしい中国人の言動が書きとめられている。これはなかなかのことであって、作者に“眼”を感じさせられる―というのも同断だろう。 バイアスがかかっているのは事実としても、しかし、必ずしもそうは言えない事情もあるようだ。
 加藤は北海道に生まれたが、5歳から11歳まで北京で過ごした。1947年、即ち「中華人民共和国」成立の二年前に、一家は日本に引き上げてくる。毛沢東が中国を蹂躙する前は中国人民の心も穏やかだったのかもしれない。ギルティ・コンシャス・プログラムのもとに、日本人が中国で悪事のみ働いたというプロパガンダを行った東京裁判もまだ結審していない時期である。また中国は国民党と共産党が内戦を繰り広げ、人民の憎悪はそちらの方に行ってしまっている。ここに一種の、真空地帯が発生したのだろうか。人間の善意のみが生き延びている真空地帯が。加藤が終戦後の北京で両親と写した写真が残っているが、ごく普通の日常生活における幸福な家庭の写真で、戦後の混乱など微塵もうかがわせぬものだ。まさにこのような真空地帯からこそ、この小説は生まれたのだ。また加藤の叔父は劇作家の加藤道夫である。彼と親交のあった三島由紀夫は加藤を「生れてから加藤氏ほど心のきれいな人を見たことがない」と評している。「夢の壁」はこのような心のきれいな一族の一人によって観照された世界であったに過ぎない。
 さて、政治的リアリズムで言えば、李鵬がかつて言った「日本など20年も経てば地球上から消えてなくなる」という言葉は、この真空から生まれてくるものではない。ずっしりと中身のある行動に裏付けられた言葉である。民主党も、中国の意を汲んで、外国人参政権法案や人権侵害救済法案、外国人1000万人の移民受入推進、沖縄ビジョンなど、日本を地球上から消してしまう政策に邁進している。中国の手の内で踊らされているのは円より子千葉景子岡崎トミ子ばかりではない。一説では民主党議員には60人も帰化人がいると言う。
 今回、莫言に負けた村上春樹は中国でも大変な人気があり、多くの中国人ファンを有している。ここに見られる日中の文学的宥和状態が、日中の政治的隘路を打破する可能性に期待する向きがあるいはいるかも知れない。しかし期待せぬが良い。「夢を見るために目覚める」ような作家が書く小説はたとえ何千万部売れようと、つまりは加藤の「夢の壁」の延長にある小説なのだ。そのような夢の世界に魂を奪われると、かの加藤道夫の如く、やがて自殺するしかなくなってしまうだろう。