2012-01-01から1年間の記事一覧
登場人物、春子の夫の志郎とは吉村昭のことか。十姉妹や独楽鼠やランチュウを飼い、機嫌が悪いと万年筆をぶつけてくる、脱サラの売れない作家志望者。そうすると津村は近作の「紅梅」に至るまで吉村で始まり吉村で終った(終っていないが)ことになるか。津村…
、と日本人が無気力に慨嘆している隙に、中国共産党はどんどんと謀略を進めていた。あるいは、明日にしている間に。言葉などている間に。日本人のこのナイーヴさは何に由来しているだろうか。 六全協のあと「山村工作隊」が解体され、信じるものが揺らいだら…
あまりぱっとしないエッセイやぱっとしない小説を書いている、その後の著者のありようから推測していた通り、ダルな小説だった。主人公は地下鉄の運転に自足する青年だが、テツ男のように鉄道に熱い情熱を持っているわけではない。オタクというわけでもなく…
語り芸人のような才気を煌かせた文章。芥川賞と直木賞のカテゴリー・ミスのような気もするが、芥川賞がその孤塁から下りて、この才筆に授賞したのはまさしく快挙である、というべきか。第50回 1963年後期 個人的評価☆☆カイ 少なくも作者のなかに文学があるの…
悪文の文学。美文というものが結局文化の囲い込み作用の結果で、それが他者の排除を生むのなら、その美文を排するべく言語を破壊する。また美文というものの結構が二項対立から生じているのであれば、その二項対立の呪縛から逃れる意味でも美文というものに…
丹羽文雄の主宰する「文学者」の同人である河野の受賞は、単独素人派の後藤紀一との抱き合わせ受賞か。文壇派の河野単独の受賞では身びいきが目立ちすぎると危惧されたのだろう。―と思うしかないほど、面白さを見つけるのが困難な小説だった。結核療養記 ? …
文章は堂々とし、物語の背景の事実の書き込みもしっかりしている。異国の地での孤立と老いから来る病の問題も、実に静かに叙述されている。しかし、これを文学というには何かが足りない。例えば戦争花嫁のドキュメントでも、アルツハイマー病の家族を抱えた…
少年に身を託して語る「少年語り」の小説。これは難しいだろう。少年のふりをした大人になってしまう危険性が多分にあるからだ。大人が良く使う便利な言い回しは許されない。そして子供らしい斬新な言語感覚をどこかで出さなければならない。「少年語り」の…
小説の中で表現された事象に息づく人間の匂いが希薄なとき、即ちそこに「生きられた経験」がないとき、たとえそれが一定の強度を帯びた表現であっても、そこに小説を書く資質というもの、さらには才能というものを認めるのは難しい。フィリピン戦線での極限…
彼の晩年の、週刊新潮「黒い報告書」の執筆や、新聞やテレビでの人生相談などという仕事は忘れ去られるだろうが、芥川賞受賞に至るまでの彼の生活、亜ヒ酸による自殺未遂、共産党地下活動への従事、酒による失敗、筆耕屋、また酒による失敗、四人の子持ちの…
「おどるでく」とは「何かワケの分らないもの」の象徴なので、それについていくら分析的考察をしても、それはそういう分析の手をすり抜ける当のものをさしているのであるから、無益である。カフカの短編「父の心配」(家長の気がかり)に出てくる「オドラデク…
マルクス経済学者(宇野弘蔵、鈴木鴻一郎)から名前を借りてペンネームをつけたほど社会学的志を有した(と思われる)筆者がなぜ後年官能小説家などになってしまったのか。本作を読めばすぐれた「純文学」的資質を有していると思われるにもかかわらず。しかも受…
とりとめのない冗語の羅列。際限のない妄想の記述。観念奔逸症の如き文章を下手に褒められ乗せられて自分もその気になって純文学と思い込んでいるだけ。しかし、何人かの人がこれを文学だと言い、そう思わない人が黙っていたりすると、それは文学になってし…
文庫本裏表紙の解説では「純愛の譜」とされており、著者自身の結婚を描いたとされる純愛小説であるが、相手方である志乃に婚約者がいることを知ったとき、三浦と思われる主人公が「やったのか」、と聞き、それに「やるもんですか」と応じるあたりの、直截な…
小説の実作のみならず、小説制作の指南書も書いている保坂の、「小説におけるアナキズムの実践」等々の言説を見ると、彼の小説が、文学史というものを踏まえているものだということはわかる。確かに文学史的には彼が小説というものの一応の先端にいるのは確…
ユーモア作家北杜夫が、実は正統的な筆力を有する作家であることを証かす作品。その筆力の中身は、①医学の知識②西洋史の知識③ドイツ人にドイツ的な冗談を言わせられるだけの人文教養、というようなところか。 ナチ政権に抗して、「生きるに値しない生命」(Le…
舞台が沖縄というだけで物語の霊が取りつき、5センチほども文章が立ち上がるが、それだけで保っているような小説だ。 たまたま読んでいる三島―川端往復書簡で、三島の「宇野氏の作に出てくる事細かな「事実」の安易さと較べて、私は今更ながらワイルドが「架…
禅的に人生を追求する小説。あるいは人生=禅と捉える小説。こころは過度の脈絡に拘束されず、もっと刹那を感じて生きるべし、ということ。しかしそれはすでに一種定型的言説のパターンに過ぎず、現にこの私は何の啓発も受けない。一言半句でも良い、定型を超…
これはもう評価のしようがない。What’s in it for ? とでも聞きたくなるような内容だ。「好きで『うそばなし』を書いている」と言うのだから、お好きに、とでも言うしかないが、文学史的にこれをどう考えたらいいのか途方に暮れる。文庫本解説の松浦寿輝氏は…
原初からただ官能だけに突き動かされている作家。撃墜された飛行機から山村に逃れた米兵、という素材から、作家は何らの政治的寓意を引き出さない。引き出したのは黒人兵の肉体に対して抱かれた、少年の官能的執着である。「閉塞した状態における人間につい…
タイトルなどには「電通的」センスがきらめいているが、これが芥川賞の「傾向と対策」小説であることはミエミエだし、、、等の、「文学」をなそうとする人間がいかにも愛好しそうな語彙のオンパレードなのも気になる。つまり、三島由紀夫が、鴎外の「水が来た…
すでに釣りや酒や美食や哄笑が、つまり開高健のすべてがここにある。その後ベトナムの戦火を潜り抜けた後も、彼が戻ってくるところはここしかなかった。開高健は小説家というよりも名エッセイストというべきであり、この受賞作にそのエッセイの源泉を見る思…
芸人河本某の母親の生活保護受給問題はもう旧聞に属するが、その河本は「オカン」ネタをはじめ家族ネタを持芸にしていた。姉や母親のさまざまな奇行を、笑いのネタにするのである。通常であれば、確かに収入が安定していない芸人の母親が生活保護者であろう…
多少軽めの、しかし明確な文章で書かれた戦争小説。終戦後、硫黄島でのジャングル潜伏生活の後、日本に帰還、戦時に同胞を殺したことを思い悩んで、その後わざわざ同島を訪れて自殺するという(「ビルマの竪琴」の水島以上に)良心的な兵隊の存在が提示される…
世界を二項対立的に裁断する手腕に長けた宮台真司が、「物語」を裁断したものに「アーヴィング的」と「サリンジャー的」というものがある。前者は「世界の不条理(世界の謎)を描くもの」であり、後者は「実存の不条理(自分の謎)を描くもの」である。その…
―作家修行として、そうだな例えば海人の人たちの心情と生活を描ききってみよ―そのような課題が与えられ、それに応えようとした小説、のように読める。だとすると、式の手法(大江健三郎「飼育」)は通用しないから、登場人物に方言を喋らせることになるが、こ…
自称犯罪者たる少年が修道院(教護施設)で見習いシスターを犯す。この少年の悪ぶりには、ちょっとこけおどしのようなところがある。それに、少年の「私語り」だからムリもないが、ときおり書きつけられるアフォリズムもいまひとつピリッとしない。小説の中に…
戦後文学史にわれわれは一人の天才を持った。石原慎太郎である。ただしこの天才は肉体的天才と言うべきものだった。裕次郎が肉体的に天才的な俳優だったのと同じ意味で、石原慎太郎は天才的肉体を持った作家だったのだ。それを多分本人が希望するであろうよ…
私はこの人の容貌を信頼していた。いい面魂をしているのである。作家たるものが備えていてしかるべき、と言いたくなるくらいの顔だ。だからいざその小説を読み、心に何も響くものがなかったとき、それをいきなり作家の責に帰せず、私の読み方の方に問題があ…
初読時衝撃を受けた本作の再読を楽しみにしていた。間に長い時間を置いた再読であるが初読時と同じように圧倒される。終盤の錯乱の描き方がうまい。再読のもう一つの楽しみが本作とセットの「黄色い人」。しかし、こちらも初読時同様、ただ面白くないだけだ…